江戸切子とは?
江戸切子とは江戸時代末期から現在まで、江戸・東京都で生産されている切子加工をされたガラス製品の総称です。
1985年に東京都指定伝統工芸品に指定、また2002年には経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定されています。
切子とはカットグラスの意味で、その美しさから酒器やグラスとして親しまれている。
江戸切子の特徴
江戸末期に生産された江戸切子は透明な鉛ガラス(透きガラス)に鑢や金棒と金剛砂によって切子細工をし、木の棒等を用いて磨き行った手作業による手摺り工程による細工によって制作されており、元々は無色透明なガラスの表面に模様を入れる工芸品だった。
当時の薩摩切子は厚い色ガラスを重ねた色被せ(いろきせ)ガラスを用いていたおり、ホイールを用いた深いカットと大胆な形であることとは大きな違いがある。
明治期以後は薩摩切子の消滅により職人と技法の移転や海外からの技術導入により、江戸においても色被せガラスの技法・素材も用いられるようになった。色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴である。加工方法も、文様を受け継ぎつつ手摺りからホイールを用いたものへ移行していく。
江戸切子の文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など着物にも見られる身近な和の文様を繊細に切子をしているのも特徴である。
現在は、当初からの素材であるクリスタルガラス等の透きガラスよりも、青色や赤色の色被せガラスを素材に用いたものが切子らしいイメージとして捉えられており、多く生産されている。
江戸切子の歴史
江戸切子は江戸時代の後期、1834年に江戸大伝馬町でビードロ問屋を営んでいた加賀谷久兵衛が、金剛砂を使ってガラスの表面に細工を施したのが始まりとされています。
明治時代に入り、1873年に殖産興業政策の一環として、日本初の硝子工場が建設され、近代的な硝子生産の試みが始まった。
同明治時代1881年には、御雇い外国人としてイギリスのカットグラス技師・エマヌエル・ホープトマンが招聘され、イギリスのカットグラスの技術導入が行われ、数名の日本人が師事し、近代的技法が確立され江戸切子の技術と融合したことで発展していった。また薩摩切子が廃絶したことにより、薩摩切子の職人も江戸に渡って江戸切子の製作に携わったことで、色被せガラスが使われるようになりました。
大正時代から昭和時代の初期にかけて、現在「和グラス」といわれているカットグラスは人気を博し、グラスや器、照明器具のセードなど多様な形で普及していき、現代まで続く江戸切子のメーカーもこの時期に創業しています。